vs☆A

アンチジャニが嵐ファンになっちまったよ

あゝ、荒野 11/19ソワレ@青山劇場 感想レポ

やっとゆっくり反芻しつつ、

舞台の余韻に浸れています。

出張も挟んで、アッという間に2週間経ってしまったけれど

目を閉じればまだ目の前に

潤くん演じる新次、小出くん演じるバリカンが

熱をもった風とともに現れてくれるようです。

嵐さんが出演する舞台を見たのは

にのちゃんの「見知らぬ乗客」以来2回目。

その間にJ事務所の舞台としてもマルちゃんの「ギルバートグレイプ」や

それ以外の舞台も数回、見ているけども

なんだかちょっとお久しぶりな気がする舞台観劇でございました。

そして久しぶりに舞台を見てみて、

あらためて思ったこと。

正直今回の舞台は"潤くんが出るから"、

"潤くんの舞台を蜷川さんが演出するから"、見たかったのであって、

潤くんが出なかったらきっと見に行っていなかった舞台。

(だって難しそうだもんw)

だけど、一回幕が開いてしまったら、

私は「潤くんが出ているから見にきた」という事実を忘れてしまって

舞台そのものの世界観に引き込まれてしまって

潤くんが舞台上にいても、全然見てなかったことがとっても多かったのです(笑)

私は結局、どれだけ好きな人がでていても

その人の姿だけを追うような見方はできないし、

その作品の中に入り込むことでしか、楽しめない人なんだなぁと

実感しました。

なので、私の書くレポは潤くんを逐一追うものではなく

あくまでも、舞台そのものの感想しか書けません。

それでもよろしければぜひお読みくださいませ~~。

あゝ、荒野

11月19日 ソワレ(17:00~) 

@青山劇場

原作:寺山修司

演出:蜷川幸雄

出演:松本潤小出恵介勝村政信


開演の20分前。

舞台には続々と演者さんが上がっていきます。

(主要キャストの姿はもちろんありません)

舞台裏から、時には観客席の間から。

「おはようございまーーす」とリュックを片手に舞台に上がる姿はまるで稽古場のよう。


おもいおもいにストレッチや発声練習などを始める演者たち。

まさに、稽古場を見せることを演出としているようです。

そのうちに「あ!蜷川さん!」という声とともに出てきたのは

蜷川さんに見立てた井出らっきょさん(笑)

この井出さんがツボで、その後も出てくるたびに私の笑いの素になっておりましたw

蜷川さんってこんなコミカルな演出もするんですね~~!

(と思ったら、どうやらこれは井出さん発信のものだったみたいです。

だけど、それをやらせちゃう蜷川さんすてき^^)

そしてダンスレッスンが始まり、(まさにウエストサイドストーリーのような)

そのうち気付けば舞台天井から

大小さまざまなネオン(○○ホテルとかパチンコとかetc...)が垂れ下がり、

あっという間に、一気に観客を稽古場から新宿ゴールデン街まで連れていきました。

その演出は圧巻!!

たったこれだけの小道具で

背景やら大きな装置が何もなくても、新宿が、昭和が再現できるのか!と唸りました。

そしてそのネオンは舞台全体を通じて活躍するのですが、

そのネオンの高さを変えるだけで演者がいま

地面にいるのかビルの上にいるのか、といった高さの演出も見事にされていて

ほんとうに素晴らしかったです!

(もしかしたら、いくつか光が消えかけたものがあったほうがよりリアルだったかなとも思ったりしましたが。)

そしてそのネオン街の中、

お金のある人も貧しい人も、さまざまな人が行き交い…

その中、白いトラックの天井に仁王立ちをした新次が登場します。

台詞はありません。

ただ、そこに白いスーツに派手なアロハシャツ、

オールバックでポケットに手を入れて、

人々を見下すように?世間を見下すように?仁王立ちをして、

圧倒的なオーラを放ちながら

群衆のなかトラックで数周まわり、戻っていくだけ。

だけど、それだけでも、オーラが違いました。

照明ではなく、金色の光り輝くオーラが、

新次のうしろから照らしていました。

すごすぎる。

気合が違う。そう思いました。

そしてバリカンが観客席の通路から登場。

そう!この舞台は、舞台全体、観客席まで

有効に使われていました!

下手側の扉近くの、通路の目の前の席だった私たちの目の前を

潤くんが何度通り過ぎたことか!!

その時ばかりはさすがに舞台そっちのけで潤くんを見つめていましたが(笑)、

舞台上からの照明に照らされて逆光になった潤くんの横顔は

それはそれは美しく、ほんとうに彫刻のようで(笑)、

爽やかかつ熱い風を残して目の前を駆け抜けていく潤くんの姿は

素敵すぎて夢のような時間でした…!

そして、全編を通じて、

鍛えに鍛えた潤くんの体は

ありえないほどに白く、身体の内から白い光が発光しているように

常に光り輝いていました。

もちろん、この舞台のために潤くんがどれほどの努力をしたかなんて

私たちが考えている以上だと思います。

それこそ命をかけて、アイドル生命を賭けて、この舞台に臨んだに違いありません。

だけど、天賦の才能というものを感じずにはいられませんでした。

身体は鍛えられます。

だけど、この内側から溢れる光を作り出せる人は

きっと神から選ばれた人だけです。

演技だけでいったら、勝村さんの声量、小出くんの演技力…

たぶんまだまだ敵いません。

特に小出くんの演技は、ほんとうにすごかった。

台詞が少ない分、目や体で語る演技だったけど、

キラキラ光る瞳から、言葉以上の気持ちが伝わってきました。

だけどその中でも潤くんの輝きが失われることは決してなくて、

むしろその演技派の中で、ただひとり、

その圧倒的なオーラで舞台を支配していました。

自信たっぷりの新次に対して、

新宿の、自殺研究会の、たくさんの群衆が責め続けるシーンがあります。

その群衆をはねのけ、上半身裸のまま新次は

シャドーボクシングをし、自分自身の想い、欲望を吐露し

「この肉体が俺だ!」と叫びます。

この台詞って言いたくても言えるもんじゃないですよ、ほんと。

この言葉に説得力を持たせるって、相当なことです。

だけど、その説得力、ハンパないです。

誰もがうなづいてしまうほどの美しい身体を持つ、そして

そこまで身体をつくりあげてきた松本潤だからこそ言えた台詞だったと思います。

それを言える人は、たぶん舞台人の中でも少ないし、

その時に、思ったんです。

この舞台には、代役はいないんだろうな、って。

舞台ってほとんど必ず代役を立ててますよね。

もし、その人は不慮の事故などで舞台に立てなくなっても

舞台は続けられるように。

だけど、きっとこの舞台は、この白く輝く身体を持つ松本潤がいなければ

成り立たない舞台だろうと。

そのくらい、説得力のある身体でした。

そして登場したバリカン。

最初の印象は「え、あれまさか小出くんじゃないよね??」

猫背で、自信のかけらもなく、捨てられた子猫のように小さく震え、

よたよたと歩いていく姿は、とてもドラマで主演を張る俳優のオーラではなく、

まるで若いホームレスが紛れ込んでしまったかのような風貌。

(実際にそのような設定のおばあさんだったり色々な演者さんが

観客席から登場していたため、それが主役のひとりだとは気付きにくかったのもあるのかも)

新次が生ならバリカンは死。

新次が光ならバリカンは影。

まるで常に死と隣り合わせでいるような暗さを背負って

まるまる3時間、演技を続けた小出くんの精神的強さに

本当に感服しました。

最期を迎える試合では

スローモーションでひたすら殴られながらの独白。

ただ殴り合っているだけでもきついだろうに、、、

ほんとうに素晴らしかった…!!!

正直、俳優・小出恵介のこと、舐めてました、すいません。

ここまでできる俳優さんだと思ってなかった。

身体つきも、

蜷川さんが「サボるから久々に物投げてやろうかと思った」と言ってたくらいだから

どんなもんでしょ?と思っていたけど、あれは蜷川さんなりのリップサービス

見事にしっかり作られていて、白く美しいオーラを放つ新次の身体と正反対の

固く大きく締まった筋肉、がっちりとした体型がとても素敵でした。

そして、彼はとっても声が通るんですね。

小出くんは本当に舞台向き!!!

一気に大ファンになってしまいました。

私は今回、あえて事前に何の知識も入れていかなかった

(WSでの報道見てボクシングするんだな~ぐらい)ので

予想以上に寺山修司作品は難解で、

3時間、本当に頭を使った舞台だったんですが、

それでもそれに慣れたときに、

入ってくるその台詞量や情報量が心地よくて

観劇後は脳がほんとうに心地よい疲労感でした。

台詞や、所々に差し込まれる寺山さんの短歌はとっても難解なんだけど

お話としてはとっても単純で。

"舞台は昭和、架空の街「新宿」。

新次(松本)は、うらぶれたボクシングジムで、吃音(きつおん)の青年バリカン(小出恵介)と出会う。

奇妙な友情に結ばれた2人は、やがてグローブを交えることになる――。 "

まさにこれ。

色々なところで語られたこのあらすじでOK。

その中に、うらぶれた新宿の街での売春婦との絡み、

早稲田大学自殺研究会の面々との出会い、

荒れた生活の中ケンカに明け暮れる新次の才能を見抜きボクシングの世界へといざなう

まさに丹下段平(@あしたのジョー)的なジムのコーチ(勝村政信)との出会いがある。

人の生き死にがすぐそこにあるゴールデン街の息づかいを感じながら

自分の才能を固く信じ大きな欲望を持ち、思うとおりに進みつづける新次と、

その息づかいの中、街の深い渦に巻き込まれ、溺れあがき続けるバリカンとの対比。

その舞台にあったのはまさに昭和であり、新宿の底に位置するゴールデン街であり、

そこにあったのは新次とバリカンの不思議なかたちの友情。

いや、あれは友情ではなくて、

「かつてひとつだったものが分かれて新次とバリカンになった」とも言えるような

表裏一体の関係を思わせる、まったく正反対のふたりの間に見える

絶対に切れないであろう絆。

どもり症のバリカンは、自分の言葉で何かを伝えることができなくて。

目に映る世界は荒野のように荒れていて、死んだように毎日を過ごしていた。

だけど、ボクシングに出会い、リングの中でなら、

拳でそれを語り、自分の想いを発散させることができた。

そしてその想いは、新次と闘うことでしか自分自身を手に入れられない、自由にはなれない、という想いに変わる。

自分自身が何なのか、何のために生きているのか、それを知りたいがために

新次と闘うことを望んでいるようにも見えた。

そしてお世話になったジムを移籍してまで、新次と闘うことを選ぶバリカン。

そしてそのバリカンの想いを、真正面から受け止めることを決めた新次。

そして壮絶な新次とバリカンの試合。

暗闇の中、ライトに照らされたリングが舞台奥から出てきたとき、

原作を知らなくてももう結末はわかっていて。

その一筋の光は、まっすぐにリングだけを照らしていて、

なにかの象徴のように

まだ誰も存在しない四角い箱を浮かび上がらせていました。

まるで、今からここで起こることを暗示するかのように。

その幻想的で綺麗すぎる光景の中に

希望の光は見えなくて、そこには悲しい最期しか見当たらなくて。

試合をしないでほしい…!って舞台でありながら思ってしまうくらい。

だけどもちろん試合は始まって、

ラウンドを重ねるたびにその内容は激しさを増し…

そしてスローモーション。

生身の人間がするスローモーションが

こんなにもスピード感があるものだとは思わなかった。

・・・ってすごい矛盾な文章だな、、、。

私はスポーツ全般観戦することが大好きで、

ボクシングも見るのがとっても好きなんだけど、

スローモーションなのに、しっかりとそこには

殴られたことによる顔のお肉の揺れとか

殴る腕の筋肉の隆起とか、張りとか、

もちろん二人の試合をリングの間近で見守るセコンドたちや

観客の動きもあっての舞台全体の空気感がそうさせていたのだと思うんだけど、

とにかく、本当に試合のVTRをそのままスローで見ているかのような

信じられないほどのリアリティ。

新次の執拗な攻撃を受け続けるバリカンの身体は

不思議とどんどんと腫れ上がっていくように見えたし、

バリカンを殴り続ける白く美しい新次の体はどんどん赤みを増して

パンチを入れるたびに肩甲骨のまわりの筋肉が盛り上がって

そのパンチの衝撃が伝わるようでした。

ふたりの間にあった、深く悲しい絆。

どちらかが先に切ってしまえば、哀しい結末はなかったかもしれないけど、

あの結末を迎えたことは必然であり運命であり、

その結末に向かうために2人は出会った、出会い直した(?)のだな、と思える悲しいその試合は、

その壮絶な試合の末、バリカンが命を落とすことで終焉を迎えます。

リング上、自分の腕の中で今まさに息絶えようとしているバリカンを

咆哮し見送る新次の悲しみ。

その想いを真正面から受け止めて、

最期を迎えるまで、殴り続けるしかなかった新次の悲しみ。

繰り出されたパンチはバリカンの身体をむしばんでいったけれど

そのたびに新次の心はきっと打ちのめされていったんじゃないかなぁ。

天に召され、バリカンはきっと、やっと荒野を抜け出し自由になれた。

でも、残された新次はどうなるんだろう?

バリカンを失ったあとも時代を生き続ける新次は

いつかこの荒野を抜け出すことはできるんだろうか?

不器用すぎるふたりの絆は、

結果ふたりを別ってしまったけれど、

もしかしたらこのあとは新次の中にバリカンが生き続けるのかもしれない。

またふたりがひとりに戻れたのかもしれない。

そんな不思議な感覚の中、最後、新次の顔だけにライトが残って消え、

舞台は終わります。

たったひとりの孤独で深い闇に新次が飲みこまれていったようでした。

ここからまた新次の闘いが始まるのか、

それともあしたのジョージョーのように、

ライバルを失って、新次の心も死んでしまうのか。

それはわかりませんでした。

休憩が終わって舞台の後半が始まって

ふたりの試合のシーンが始まってすぐに

あんまり真剣に見すぎて私はきっとまばたきすることを忘れてしまっていて、

気付かないうちにとんでもないドライアイの症状になっていたんですよね(苦笑)

で、試合を見ているうちに

ふたりの気持ちが痛いほど胸に迫ってきてしまって

なんともいえないせつなく苦しい気持ちになってしまって

自然に涙があふれてきてしまったんです。

だけど私ドライアイだから(笑)

カピカピに渇いた目に急に大量の涙があふれたものだから

痛すぎて痛すぎて!!!(爆)

泣く→ドライアイで目が痛すぎるーー!!!→号泣→その中でも舞台見つつ泣く→さらにドライアイ刺激→さらに号泣(エンドレスループ)

そんなもんでもうてんてこ舞い(笑)

後半はとにかく涙と、痛みと闘いつつの観劇となってしまいました(苦笑)

ダメですね。

次回観劇するときはしっかり目薬を点して臨みます´`

あ、それから、噂のベッドシーン。

例のシーンでは白いシーツをかぶってしまっていたので

正直ヽ(>Д<)ノ<もっとガッツリ見せろや!! な気持ちも無きにしもあらずでしたがw←、

白いシーツの中はひたすら妄想で補完(笑)、

行為中に繰り広げられる「どうだ、すごいだろ?」なんつー自信満々な台詞の数々には

むはー(*´Д`*)とならずにはいられませんでした。

大変ごちそうさまでした←

舞台が終わって、涙涙の中、

私は自然とスタンディングオベーションしていました。

周りもみんな、そうだったように思います。

心からの、湧き上がるような拍手に、また感動しました。

ほんとうに、ごく自然に。

心の底から、この舞台を作りあげてくれた演者さん、そして蜷川さんを筆頭とした

スタッフのみなさんに、お礼が言いたくて、

その気持ちをすべて拍手に込めました。

カーテンコールは5回。

もういいよ、ってくらい呼ばれて(笑)、

若干苦笑いになってる潤くん、とっても可愛かったです。

そして、松本潤の一ファンである私が言うのもなんだけれど、

この舞台を、ファンだけのものではなく、広く色々な人に見て欲しいと

あえて一般発売だけにした蜷川さんの想いは正しかった。

結果、一本の電話を繋げるにも相当な苦労と根性が必要になってしまったから、

純粋に一般の人の手にチケットが渡ることはほとんどなかったと思われるけれど、

もし、主演二人に何の興味もない、むしろ嫌気すら持っている人が見ていたとしたら

きっと、二人に対する見方は相当変わったと思う。

蜷川さんがこの舞台のパンフレットの冒頭で言っていること、

『彼らの努力と才能が、この国にもいるスタ一嫌いの一部の人々を置き去りにして疾走してくれることを、ぼくは心から願っています』

まさにこの蜷川さんの期待に、主演二人は応えたと思う。

ほんとうに、言葉では言い尽くせないほど、素晴らしかった。

この舞台に潤くんを呼んでくださった蜷川さんに、心から感謝!

そして、潤くんが俳優として大きすぎる一歩を踏みだしたこの瞬間を、

見届けることができたこと、ほんとうに、感謝します。

一気に感想を書き上げたので、

ちょっと支離滅裂かもしれません。

だけど、あの日私が感じたことは、ちゃんと書けたかなあと思っています。

ありがとうございました!