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アンチジャニが嵐ファンになっちまったよ

母と暮せば

母と暮せば 本日公開!

おめでとうございます!!

3日前の夜中、0:00になった瞬間から始まった争奪戦を経て

(お客様は12000人目のお客様です。少々お待ちください、と出たときには一度ケータイ投げましたがw)

12:50の回、初日舞台挨拶ライブビューイング、行ってまいりました。

その会場にいなくとも、

その瞬間を一緒に過ごすことのできる現代の文明に感謝ーーー!

カラシ色(なんか思い出すよね(笑)きったねぇシャツ(山田監督曰くw)とかね)のスーツのにのちゃん、

終始照れてて可愛かったです。

以下、映画感想。

(ガッツリネタバレ)

まーー、気持ちいいほどに最初から最後まで泣きっぱなしでした。笑

私がもはや歳なのか(笑)、この映画自体が良作なのかはわからないけど

まーー、泣きました(笑)

途中、たぶん全然泣かせるつもりもないシーンとかでも嗚咽しそうで、堪えるのが大変!

舞台は戦時中の長崎。

原爆が投下される都市が本当は小倉の予定で、

しかし小倉上空が雲に覆われていたため第2候補地の長崎になったこと。

空を覆っていた雲が一瞬晴れなければ。

あの日日本中が分厚い雲に覆われて、大雨に見舞われていれば。

運命が変わったかもしれないことを、初めて知りました。

そもそもなぜ広島と長崎(場合によっては小倉)が狙われたのかさえ、

思い返せば戦争のことなどなにも知らない自分の無知さに呆れながら、

スクリーンを見つめていました。

原爆が投下された、その瞬間のシーンは、

それまでの平和で緩やかで私たちがいま暮らす生活と変わらない

少し忙しい朝や、友達に貸すために忘れずに持ってきた本のこと。そんななにげない日常を

原子爆弾という狂気に満ちた凶器が

一瞬にして、人も本もペンも、なにもかも奪ってしまったことを

疑似体験したかのように感じられるほど恐ろしいシーンに仕上がっていました。

そしてその一瞬の後に、続く爆風やそこにあるもの全てを次々に壊していったであろう、

爆発の衝撃の長さと、響き続ける音が、

さらにその衝撃の大きさを物語っていて

本当に恐ろしかった。

あのシーンは、今までみた戦争に関する映画の中で、一番戦争の怖さを感じたシーンかもしれません。

そして原爆投下(次男(浩二)の死)から3年が経ち、夫を結核で亡くし、長男をビルマの戦争で亡くし、

たった1人で暮らす母の元に、浩二の亡霊が現れます。

「浩二?!あんた浩ちゃんね?!」

部屋の階段に突然現れた浩二に、母は驚きません。

はじめは、愛すべき家族であれば、幽霊になってでもでてきて欲しい、と願うこともあるだろう。

だから、あんまり驚かないのかな、と思いました。

(実際に私も大好きなおばあちゃんが亡くなった時には毎晩おばあちゃんーー出てきてよーーーと泣きました)

(そして夢に出てきてくれたときには本当に嬉しくて朝起きて小躍りしました笑)

でも、最後まで映画を見て、思ったのは

『あれは浩二の亡霊ではなく、母の作り上げた幻影だったのではないかなー』と。

とてつもない悲しみに自分の心が壊れて

幻影を作り出すほどに壊れてしまったら

そもそも驚くこともないだろう、と。

この作品は、名匠山田洋次監督初のファンタジーという触れ込みでしたが、

ファンタジーという柔らかな膜に覆われた、母親の狂気が作り出した最期の幻想だとしたら

この優しくも悲しい幻想を作り出した母親の狂気は、

『戦争』という、人間が行った愚かな行動によるものだという、

戦争への憎しみが、より際立つことになるのではないかと。

そう思うに至った理由は、もうすこしあります。

浩二が、いくら末っ子の次男で、お母さんっ子だったとしても

大学生にもなった息子が、あまりにもお母さん大好きオーラを出しすぎなのです(笑)

もうこれにのちゃんじゃなかったら気持ち悪いレベルに。

戦時中で父と兄を亡くし、もう自分しか身寄りがなくなってしまった母を想うが故に

ベタベタと恋人のごとく仲良しの親子だったのかもしれませんが

それにしても、お母さんのお布団に潜り込む大学生なんていないでしょう?!?

母親の幻想なのだとすれば、母親が上海のおじさん(めっちゃいいキャラ!)に口説かれたことを

父親に(天国で)会ったら告げ口すると浩二が脅す(からかう)シーンの伸子さん(母)が

ものすごくキャピキャピしていてなんとも母親らしくないことも、

なんとなく、納得がいくのです。

そして、ラストの展開も。

もし私が脚本を書いていたら、こんなラストにはしません。

だってあまりにも現実味がなさすぎる。

亡くなったはずの息子の亡霊が迎えにきてくれて

まるでフランダースの犬のネロとパトラッシュのように共に天国へ旅立てるなんて。

そんなことあるわけない。

・・・もとい、あるわけないとは断言はできないけど、

小説や映画でそれをやってしまったらあまりにもリアリティがなさ過ぎる。

だけど、その最期の何ヶ月かの物語自体が

神という存在を信じるキリスト教徒である母親の幻想だとすれば、

それは神様がくれた救いだろうし

リアリティのないラストであっても納得がいくのです。

ただ単に山田洋次監督がものすごくロマンチストなのかもしれないけど。

すごく丁寧に作り込まれた作品で、

端々のキャストのみなさんまで、どこを取っても一流の作品でした。

私は映画特有の大きなBGMが苦手だったりするのですが、

音楽もほどよく、心地よく流れ、

130分が、あっという間に緩やかに過ぎて

泣き疲れた以外には負担もなく、ストレスフリーで見られました。

と、いうことは、私にとってはいい作品だったんだと思います(笑)。

年齢が離れすぎだろ!と多少ツッコんだりもしたかった吉永小百合さんとの親子共演も、

あまりにも吉永小百合さんが綺麗すぎて、

あの時代の40~50代であれば、こんな感じの見た目かもなあ、と違和感なく見られました。

(私が子供のときの30代ですら、だいぶおばちゃんに見えてたもんなあー!)

それにしても御年70とは!!!

恐れ入りました!!!

映画見終わったあと、

「ご飯どーする?」からの満場一致で食べたのは

長崎ちゃんぽん(笑)

not 鼻水入り!

いまも不思議な余韻。

あと1回か2回か…。

見に行くことになりそうです。